弁松の歴史

祝事・仏事のおもてなしからお昼のお弁当まで、様々な折詰弁当・料理を取り揃えております。

職人自慢の逸品の数々をぜひご堪能ください。


弁松の歴史

創業約170年。老舗が多い「日本橋」では、まだまだ若造なお店です。

● 現存する中では日本最古の弁当屋

時に文化7年(1810年)、越後生まれの樋口与一という男が日本橋の魚河岸に「樋口屋」という食事処を開きました。盛りのよさが評判で繁盛していましたが、時間のない魚河岸の人たちは、せっかく食事が出てきても全部食べ切る前に席を立たねばなりませんでした。

そこで、残った料理を経木(きょうぎ)や竹の皮に包んでお持ち帰りいただいたところ大好評で、持ち帰り用を所望するお客様が増えていきました。これが、弁松の折詰弁当の始まりなのです。
二代目竹次郎の時代には、最初から竹皮で包んだ弁当を販売するようになり、三代目松次郎のとき、食事処から現存する中では日本で最古の弁当屋になりました。

日本橋魚河岸 当時の風景

日本橋魚河岸 当時の風景

● 弁松になった日

三代目樋口松次郎の時代、店も弁当販売が主流となり、「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれるようになりました。そして、食事処を店じまいし、折箱料理専門店「弁松」を創業しました。
徳川御三家の家令が人力車に乗って注文に来たり、日本橋から埼玉まで大八車で弁当を届けたという記録もあります。
以来、約170年間お江戸日本橋で弁当を作り続けています。老舗が多い日本橋ではまだまだ若造なお店ですが、弁当に込められた江戸の文化を伝える店として、これからもお客様を喜ばせていきたいと考えています。

三代目樋口松次郎 明治時代の広告

左:三代目樋口松次郎 右:明治時代の広告

弁松の味とこだわり

老舗の街「日本橋」で末永く続くには理由(わけ)があります。

● 濃ゆい味つけ

弁松の弁当の味は、江戸から続く甘辛の濃ゆい味です。
日本人のDNAに刻まれた懐かしい味です。
味覚だけでなく、情緒にも訴える味でありたいと思います。

弁松の味はなぜ濃ゆいのか? これにはいくつか理由があります。「弁当なのでもともと日持ちさせるために濃くした」
「肉体労働に耐えられるようカロリーを高くするために濃くした」「砂糖が高価な時代に江戸っ子は見栄を張って沢山入れた」
「江戸っ子は中途半端な味ではなくはっきりとした味を好んだ」「関東の水質が硬水なので、出汁を取る際には昆布ではなく鰹節や煮干しを使い、その生臭さを打ち消すために濃口の醤油をたくさん入れたから」などと言われています。
味を薄めるのは簡単です。しかし、それではせっかくの伝統の味がボケてしまいます。弁松の弁当ではなくなってしまうのです。

よそでは真似できない味ですので、この味を好まれるお客様がお一人でもいらっしゃる限り伝え続けたいと思います。


玉子焼



● 弁松のお惣菜

手間隙かけて作られた弁松自慢のお惣菜には、秘伝の技と、さらにおいしいものをという職人たちの想いが込められています。百人一首にも詠われた逸品「たこの桜煮」、弁松の定番「野菜の甘煮」「しょうがの辛煮」「玉子焼」、そして「豆きんとん」「めかじきの照焼」や「信田巻(しのだまき)」など、昔ながらの変わらぬ味のひとつひとつは、よそでは味わえません。
だしの微妙な割合、ガス台ごとの炎のくせ、秒単位のタイミングなど、仕込みから調理まで職人の技が隠されています。
江戸時代の弁当の味ってこんな感じだったのかと、楽しみながらお召し上がりいただけます。

➣お惣菜一覧はこちら

弁松のお惣菜



● 弁当の味は、一度食べたら誰かに話したくなるような味

弁松の弁当は小さな経木の折箱に入っています。その中にぎっしり詰まったおかずは全部が主役です。
弁当を食べるとしばし江戸時代にタイムスリップ。きっと誰かに話したくなります。

何はともあれ「玉子焼」

毎日、職人が手焼きしている玉子焼。一度に三本の鍋を使って焼きます。熟練した職人でも毎日が真剣勝負。
ちょっとした火加減で仕上がりが変わります。
月のように黄色く仕上げ、かめば口の中に出汁がにじみ出て来ます。折箱の中でもその存在感を主張しています。
弁松の味が濃過ぎるとお感じの方にもこの玉子焼は受け入れられ、全国の方に人気です。
何はともあれまずは弁松の玉子焼をお試しください。

玉子焼

ちょっとびっくり「野菜の甘煮」

濃ゆい味にどっぷり浸かれるのが野菜の甘煮です。茶色い見た目はどう見ても味が染み込んでいます。
筑前煮のような味だと思って食べると裏切られますのでご注意ください。甘辛の味は贅沢な味です。
そして、どこか懐かしく感じる味なのです。
最初にこの味にびっくりしてしまった方の中には、弁松の弁当とは距離を置く方もいます。
しかし、しばらくすると無性に食べたくなってまた戻って来る方が多いです。
あるいは年とともに味覚も変化して行き、気が付いたら濃ゆい味がお口に合うようになっているなんてこともあるのです。

野菜の甘煮



● 折箱のこだわり

弁松では、折箱でも今では珍しい経木(きょうぎ)の折を使用しています。
経木とは、昔、紙の代わりに杉や檜の板にお経や記録を書き留めたことからそのように呼ばれています。弁松で使っている折箱は、主に北海道のエゾ松が原料です。近年はカナダ等、海外からもマツ科の木材を輸入して使用しております。通気性に優れ、殺菌効果があり、ふたを開けた瞬間香る森のにおいは美味しさを一層引き立てます。ふたや折の底についた御飯をこそぎ取るのを、お楽しみください。

折箱のこだわり

お惣菜一覧

● 弁松で人気のお惣菜をご紹介します。

野菜の甘煮

ー甘いはウマイー
野菜の甘煮

甘煮と書いて「うまに」と読みます。甘い(あまい)は、甘い(うまい)。「うまい」の語源はあまいからきているのです。そんなわけで、甘辛で濃い味付けです。これがお口に合うかどうかで、弁松の弁当の好き嫌いが分かれますが、懐かしい味がするようです。

玉子焼

ー丑三つ時からー
玉子焼

まだ夜が明けないうち、玉子焼の作業から弁松の一日が始まります。最初にその日に使う玉子焼を焼くのです。今では機械で焼いたものや、前日以前に焼いたものを使用している弁当が多いようですが、弁松では未だに手焼きでがんばっています。一本一本真剣勝負で焼いている玉子焼は、だしをきかせたしっかりとしたお味です。

しょうがの辛煮

ー弁松の重鎮ー
しょうがの辛煮

弁松の弁当に必ず入っている、しょうがと昆布を辛口に煮た佃煮風のものです。甘い味付けが多い中で、ピリッとアクセントになっています。午前中に弁松の店の前を通ると、この辛煮を煮ているにおいがほのかに漂ってきます。きざんで御飯に混ぜてもおいしいです。ちょっとよそでは見かけない商品です。

たこの桜煮

ー江戸百人一首の逸品ー
たこの桜煮

『雪と見る笹折詰の弁当は月の玉子や花のさくら煮』江戸百人一首にも詠われた弁松の逸品です。じっくり煮込んで桜色になったタコに、上質の葛粉である吉野葛(よしのくず)を使ったあんをからめます。タコなのに柔らかくてかみ切れるため、ご年配の方にも大好評です。
手間隙かけて作っていますので、本当に食べたい方だけに召し上がっていただきたいのです。

魚の照焼き

ーめかじきは凶暴ー
魚の照焼き

弁松で使用している魚は主にめかじきです。剣状の長い角(吻)を持っていて、大型のサメやクジラでさえ一刺ししてしまう海の世界の暴れん坊です。弁松では、めかじきの中でも最低100キロ以上の脂の乗った固体の身を仕入れ、仕込みから調理まで職人が熟練の技で丁寧に扱っています。釣り上げる時に、漁船の人が足を貫かれたりと凶暴な魚ですが、甘辛のたれで照焼にしためかじきのお味は抜群です。

信田巻

ー弁松いなり寿司の正体ー
信 田 巻

弁松名物の一つ信田巻。見た目はいなり寿司ですが、ハスやしいたけ、海老を刻んだものが入っていてひと口頬ばると、たっぷりの煮汁がしたたります。歌舞伎にも登場する「信田の森のキツネ」の人気にあやかり、キツネの好物の油揚げを使った料理を信田と呼ぶようになりました。
キツネもうっかりだまされる、弁松のいなり寿司です。

豆きんとん

ー弁松スイーツー
豆きんとん

いつも折箱の端っこに鎮座しています。弁松=甘いというイメージに貢献しているお惣菜です。そもそも、きんとんはおせち料理でもお馴染みで、「金団」と書いて金運・財運を意味しています。弁松は豆きんとんなので、「まめに働いて財を成す」という意味になります。甘い煮物や玉子焼を食べた後に、さらに弁松スイーツ豆きんとんをお楽しみください。

赤飯

ー堅物ですみませんー
赤 飯

お祝いの席に欠かせないお赤飯。きれいなピンク色がおめでたさを演出します。赤飯というのは、小豆やささげの入ったお強(おこわ)のことです。お強とは、米を蒸したもののこと、「こわい」という昔の「かたい」の言い方から由来しているのです。なので、普通のご飯よりは堅物なんです。「ちょっと固い」というお客様からのご感想が来るのはこわいのですが、普通のご飯よりは堅物なのです。


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